【Tokyo Pops編】

6 décembre 2017

Pause éphémère à Kyôto(suite)

前回同様、京都滞在時のエピソードです。部員の中には京都ネイティブ(!)の方がいて、さらに助っ人にはフランス語ネイティブが加わり、京・仏のエキスパートにより、一層問答が白熱しました!

 

 

<原文>Pause éphémère à Kyôto(suite)

 

Derrière les barrières de bambous à claire-voie1, quelques rires étouffés, le frottement du gravier16 caressé par des pieds qu'on imagine chaussés de socques en bois2, d'imperceptibles frottements de soie3 laissent présumer de l'arrivée d'une somptueuse courtisane4 dans la maison de thé5, conviée par un riche client pour l'honorer6 de sa délicate compagnie, de ses talents de danseuse et de joueuse de luth japonais.

*

Au sortir du quartier de Gion, les boutiques7 de vendeurs de glaces pilées égrènent leurs couleurs acidulées jusqu'au pont.  En contrebas8 coule la mythique9 Rivière Kamo, fidèle10 aux nombreuses estampes et peintures japonaises inspirées par son cours et la vie qui s'y reflète.

 

Les luxueuses maisons de thé11 sur pilotis s'alignent sur l'autre rive.  Chacune arbore un lampion dont la lueur fait ressortir la calligraphie noire du nom de l'établissement. Sur les berges, des amoureux se promènent main dans la main.  Un couple assis sur un banc bavarde dans la fraîcheur du soir.  Tout semble ici couler au rythme de12 la rivière, de la douceur et de la nostalgie.

    *

Le lendemain, je pars pour la visite du célèbre Pavillon d'or.  Construit au centre d'un étang, le Kinkaku-ji se reflète parfaitement dans l'eau. La beauté de cette image est sans faille13.  Je ressens toutefois une émotion bien plus profonde dans l'enceinte du Ginkaku-ji14, le Sanctuaire d'Argent.  A la différence du Pavillon d'Or, rien ici n'est ostentatoire15.

 

Les gravillons16 du jardin zen ont été soigneusement ratissés par le jardinier17. Ils forment des motifs qui rappellent les courants, les tourbillons qui agitent les cours d'eau.  Des pierres18 plus grosses sont posées ça et là.  Elles représentent une partie de notre univers19. De cet agencement, simple en apparence, se dégage une paisible atmosphère qui invite naturellement à la méditation.

 

Assise sur un banc20, je me rafraîchis d'une tasse de thé vert21 en me remémorant la phrase « ichi-go, ichi-e », utilisée pour évoquer la cérémonie du thé: « Un moment, une rencontre ». Je savoure cet instant unique22.

 

Sur le Chemin des Philosophes qui longe un ruisseau où s'épanchent23 quelques branches de saule-pleureurs24, mon cœur est léger et je pense avec délice à l'eau bien chaude du bain qui m'engourdira et me plongera dans les premières vapeurs du sommeil avant de rejoindre ma chambre nippo-occidentale.

 

 

<試訳>京都、束の間の休息

 

透かし格子の竹柵1の向う側から押し殺した笑い声や、ぽっくり2が砂利16を踏むようなかすれた音、優雅な遊女がお茶屋5に着いたと思える着物の絹地がこすれる3ささやきのような音が聞こえてくる。遊女4とは裕福な客人が彼女たちの細やかなもてなし6や、踊り手、三味線の弾き手としての才能に敬意を払って招待している女性のことだ。

 

祇園町を抜けると、かき氷を売っている店7がいくつも橋のところまで、どぎつい色のシロップを並べていた。橋の下8には神秘的9な鴨川が流れている。川の流れとそこで繰り広げられる暮らしにインスピレーションを得た10数多い浮世絵や日本画で有名な川である。

 

川岸に突き出した一列に並ぶ床は、それぞれが、由緒ある11お茶屋とつながっている。お茶屋には提灯が掛かり、その淡い光で浮かぶのは墨、で書かれた店の名前だ。川の土手では、恋人たちが手をつなぎ、そぞろ歩きをしている。ベンチに腰掛けたカップルは、夕闇の涼しさにひたり、語り合っている。すべてが、ここでは川と穏やかさとノスタルジーのリズムに合わせて12流れていく。

 

翌日、私は有名な金閣寺を訪れた。池の真ん中に建てられたこの寺は、水面に完璧な形で映っている。この姿の美しさは非の打ち所がない13。けれども私は、銀閣寺14の境内により深い感動を覚えた。金閣寺とは違って、ここには何の派手さもない15

 

銀閣寺の禅庭の砂利16は庭師17の熊手で、丁寧に整えられている。砂利は水の流れや流れを乱す渦を連想させるモチーフを造っている。さらに数個の大きな石18があちこちに置かれている。その石が表現しているのは我々の世界19の一部だ。一見してシンプルなこの石の配置は、ごく自然に瞑想へと誘う平穏な雰囲気が漂っている。

 

寺の腰掛20に坐って、一服の煎茶21でリラックスすると「一期一会」という言葉を思い出した。お茶席で使われるこの言葉は、一瞬の一回きり22の出会いの意味だ。わたしは、この独自の一瞬を堪能した。

 

小川に沿った「哲学の道」には、しだれ柳24の枝々が川面に揺れている23。私の心は軽く、うれしくて風呂の熱い湯を思った。その湯は、私の心も体も解きほぐし、眠りを誘う最高のほてりに浸してくれる。その後、和洋折衷の部屋に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

問答スタート!!

部員A

編集長

部員B

一同

部員A

部員C

部員B

部員A

部員C

エリック

部員D

部員B

部員C

エリック

部員D

編集長

部員C

部員A

編集長

部員D

部員D

部員B

部員D

部員B

部員C

部員A

部員C

エリック

翻訳していて思うのは、言語は文化そのものだということですね。そういう意味では京都というのは、関東出身の私からすると、まったく異文化という気がします。土地勘もないし、実感がないものね。

前半部同様、このテキストにはあまり難解な部分がなく、試訳にも突っ込みどころが無いように思います。あとは和訳の日本語をいかに美しくまとめるかというところではないでしょうか?

美しい日本語もさることながら、京都ではどうなの?という確認作業が必要ですね。ここに京都ネイティブのBさんがいるので、その辺を色々確かめましょう。エリックにも来てもらっているので、フランス語については彼に確かめながら、順に見ていきましょう。

1. les barrières de bambous à claire-voieは忠実に訳せば透かし格子の竹柵ですが、竹矢来と言ってよいのではないでしょうか。

 

透かし格子に組んだ竹垣にはいくつも種類があり、それぞれに名前が付いています。矢来垣もそのひとつですが、テキストの文面からではそうだと断定はできません。「透かし格子の竹垣」が良いのではないでしょうか。実際には京都で通りから透かし格子で仕切られているお茶屋さんはないと思います。きっと筆者の文学的想像なのではないでしょうか。

16. gravierも後から出てくるgravillonsも日本語では同じ砂利なんですが、大きさによって言葉が変わってくるのですね。土木関係の翻訳でお目にかかることがあります。その他にgrave(砂礫)というのもありましたっけ。でも、日常生活ではC’est pas grave.(大した問題じゃない)です。

 

…(無言)

感覚の問題かもしれませんが、rires étouffésの étoufféを押し殺したとすることに違和感があります。押し殺したら声が漏れないんじゃないかと。

国語辞典で「押し殺す」を引くと、「感情などをおさえつけて、外に表れないようにする」という意味に加え、「笑いを押し殺す」「押し殺したような声」という例文が載っています。ですから微かな声は漏れるのでしょう。

では「忍び笑い」では

それいいね。

9. avoir la chance de は「~という幸運を持っている」というより「幸いなことに~ということができる」という方がこなれているように思います。

10. autres villesは日本の他の都市?それともパリやニューヨークのような世界にある他の巨大都市?

gravierは玉砂利、gravillonsはもっと細かい砂利ですが、石庭に敷かれているので白洲としてみました。

 

2. socques en boisを試訳ではぽっくりと訳しています。舞妓さんをイメージしているのだと思いますが、そう言い切れる根拠がないので芸妓さんの下駄かもしれないでしょ?

いいえ、芸妓さんは下駄ではなくて、草履を履きます。だからこれは舞妓さんのぽっくりですね。

 

3. frottements de soieはきれいに衣擦れとしましょう。

 

4. somptueuse courtisaneはそのまま訳せば確かに遊女とか高級娼婦になってしまいますが、ここではお座敷に呼ばれた芸妓さんあるいは舞妓さんですから、それはないでしょ。

 

courtisaneには遊女とか娼婦という意味もありますけれど、語源はcourt、つまり宮廷に仕える女性です。現代風に訳せばコンパニオンですかねえ。

 

5. maison de théってどんなもの?喫茶店?料亭?

大辞泉で茶屋を引くと、「③江戸時代、上方の遊里で、客に芸者・遊女を呼んで遊ばせた家。揚屋(あげや)より格が低かった。」となっています。料亭ではないのでしょうね。貸座敷に近いのかなあ?

6. l'honorerの目的語はle(客)なんだろうか、それともla(呼ばれた芸妓あるいは舞妓)なんだろうか。honorerはどういう意味に取ればいいんでしょ?

 

断言できないのですが、辞書に「…に…の光栄を与える、…に…を賜る」という意味があるので、お客さんを意味するのだと思います。もし彼女自身を指すのだったらs'honorerになるのかなあ?

 

honorerは「もてなす」で良いと思いますよ。

7. ブティックは常設の店舗でしょうか?かき氷の屋台でしょうか?何軒位あるのでしょう?刺激的な色はシロップの色?それともお店の色?「かき氷あります」なんて書いてある真っ赤な幟のこと?

どうだったかしら?はっきり覚えていません。

aciduléは本来、酸味が強いという意味なので、味覚には使うと思いますが、色に使うとどうなんしょう。

やっぱりシロップの色でしょうか。緑のメロンシロップ、赤の苺シロップ、黄色いレモンシロップ等々のちょっと毒々しい原色。

 

口に入るものなので毒々しいは避けて、刺激的なとか、鮮やかなということですね。

 

8. contrebasは橋の下というより、目の下ではないかと思います。

 

ネットで参加している部員Eさんから9. mythiqueは「かの」と簡単に訳したらと提案されています。

う~ん、これはなんとか適切な言葉を捻り出したいところですねえ。「神話的」というより「話に聞いていた」とか「語り継がれてきた」というところでどうでしょう。

10. fidèleは何に対して忠実なのかというと、浮世絵や日本画に忠実、つまり昔描かれた姿そのままに流れていたということでしょうね。

日本画という言葉は洋画と対比させるための言葉だから、単に絵で良いのではないですか?

 

 

鴨川の岸の川床は有名ですが、これはお茶屋さん?以前、予約しようとネットで検索したら、値段が高いので諦めたことがあります。

 

いや、料亭というか、料理茶屋ですね。ちなみに貴船にある川の上にせり出したのは川床(かわどこ)、鴨川の河川敷の上にあるのは川床(かわゆか)と呼びます。

ネットで参加のEさんからfaire ressortir la callligraphie noireはfaire ressortirで「目立たせる、強調する」という意味があるので、提灯の中のろうそくの明かりが内側から照らすことによって、墨で書かれたお店の名前が目立って見えるということではないかという指摘がありました。

その通りでしょう。薄暮に提灯に書かれた店名が浮き上がっているのですね。

 

 

12. rythmeはどこまで含まれるのでしょう。川のリズム、それとも川や穏やかさやノスタルジーのリズム?それでは言葉として変じゃありませんか?

rythmeは川、穏やかさ、ノスタルジー全てにかかっています。

でも穏やかさのリズム、とかノスタルジーのリズムってピンときませんよね。

試訳で「流れ」という言葉がダブってでてきますけれど、美しくないような

それなら意訳だけれど「穏やかなせせらぎの音が誘う昔ながらの風情に乗って流れている」とか。

sans failleのfailleは亀裂、断層、ひび割れという意味なので、どう解釈しましょうか?

欠落という意味もあるので「非の打ちどころがない」で正解でしょう。

金閣寺と銀閣寺を比較していますが、金閣寺の後で銀閣寺も訪れたのでしょうか?

ルポでも日記でもないので、多少文学的虚構があっても構わないと思います。後から銀閣寺から近い哲学の道が出てくるので、銀閣寺にも行ったのでしょう。むしろ銀閣寺の石庭となっていますが、記述からすると竜安寺ではないかと思えます。

いや調べてみたら銀閣寺(慈照寺)にも石庭がありました。

ostentatoireはフランスで自己の宗教を表すスカーフや十字架を公共の場で禁止するニュースのなかで、「ことさらに」とか「あからさまに」とか「これ見よがしに」という意味でしばしば出てくる言葉ですね。

 

19. 禅寺の石庭は禅による宇宙の真理を示したものと言われますので、世界より宇宙にしましょう。

20. 21. 寺の腰掛かどうか明記されていないし、煎茶かどうかも断言できません。

 

22. ここでいうuniqueは「独自」ではなく、「今ここにある唯一」の一瞬と解釈したほうが良いでしょう。

23. s'épancherの意味は辞書では「心情を打ち明ける、心情が流露する」となっていますが、訳しにくいです。

 

saule-pleureursは柳で、pleureurには枝が垂れたという意味ですが、泣いているという意味にも取れます。だから泣いている柳は私にその心情を打ち明けてくるという隠れた意味を含ませているのではないでしょうか?」

s'épancherhは「しなだれかかる」とか「傾ける」という意味で使われていると思います。ですから「柳がせせらぎに向かって枝を垂らし」で良いのではないでしょうか

部員B

部員A

部員C

部員D

部員B

部員A

部員D

部員B

部員D

部員C

部員A

エリック

部員B

部員C

部員A

部員B

エリック

部員B

部員C

エリック

部員A

部員C

部員A

編集長

部員D

部員B

部員D

などなど、、、問答を経て。

↓↓↓

<部員による検討結果>

京都、束の間の休息

透かし格子の竹柵の向こう側からは忍び笑いや玉砂利が踏まれてこすれ合う音が聞こえる。あれはぽっくり(木製の履物)を履いている足音なのか、かすかな衣擦れの音も聞こえてくる。恐らくらく舞妓さんが裕福な客に呼ばれ、きめ細やかな接待と、踊りや三味線の腕前を披露して、客をもてなそうとお茶屋にやって来たのではないかと想像をたくましくする。

 

祇園町を抜けると、かき氷を売るいくつもの店が橋のところまで、刺激的な色を並べていた。その下には昔から語り伝えられてきた鴨川が流れている。鴨川はその流れや、そこに映し出される人々の営みからインスピレーションを得て描かれた多くの浮世絵や絵画そのままだ。

 

向こう岸には由緒ある料理茶屋が杭の上に川床を並べている。それぞれの店には提灯が掛かり、黒々と墨で書かれた店の名前が浮き上がっている。土手の上を恋人たちが手をつなぎ、そぞろ歩きをしている。ベンチに腰掛けたカップルは、宵の涼気の中で語り合っている。ここでは全てが穏やかなせせらぎの音が誘う昔ながらの風情に乗って流れている。

 

 

翌日、かの有名な金閣寺を訪れた。池の真ん中に建てられたこの寺は、水面に完璧なまでに映えている。この美しさは非の打ち所がない。けれども私は、銀閣寺の境内により深い感動を覚えた。金閣寺とは違って、ここにはこれ見よがしのところがひとつもない。

 

禅庭の白洲は庭師の熊手で丁寧に整えられて、そのモチーフは水の流れや(そこに生まれる)渦を表している。数個の大きな石がそこかしこに置かれている。その石が表現しているのはわたしたちの宇宙の一部だ。一見してシンプルなこの石の配置からは、ごく自然に瞑想へと誘う平穏な雰囲気が漂っている。

 

腰を掛け、一服のお茶でリラックスして、茶道でいう「一期一会」、つまり「この時は一生に一回の出会いである」という意味の言葉を思い出しながら、今ここだけにある一瞬を堪能した。

 

柳の枝垂れる川沿いの「哲学の道」で、心が軽くなったら、わたしの和洋折衷の部屋に戻る前に、我を忘れて眠りを誘う湯気の立つ熱いお風呂に入るのが楽しみになった。

久々の更新です。先日、東京外語大で開かれたシンポジウム「翻訳という創造空間」に参加してきました。柴田元幸さん、野崎歓さん、松永美穂さん、和田忠彦さんと実力、人気共にある翻訳家達のお話を聞き、大いに刺激を受けてきました。3時間の長いシンポジウムでしたが、あっと言う間に感じました。そこで良い翻訳者というのはお話上手なのでは?とふと感じました。この経験を翻訳問答に活かさなければ!

 

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