【Tokyo Pops編】

27 avril 2017

Design et décadence  1/2

さぁ、いよいよ翻訳問答クラブの活動が始まりました。著者のカロリーヌさんも楽しみにしているとの事で、我々のやる気もマックスに。ところが、、、冒頭より我々の想像を遥かに超えるカロリーヌ節に早くも目眩が、、、。すでにこの第一章のタイトルも何と訳せばよいのでしょう?

 


<原文>Design et décadence

Nos visages blafards émergent de part et d'autre du taxi qui file sur l'Avenue Roppongi.

Ils ressortent de chaque fenêtre telles deux fukumimi, les oreilles aux grands lobes de Bouddha, synonymes de chance au Japon.Les pupilles noires du chauffeur nous fixent dans le rétroviseur, aussi menaçantes que les yeux d'un tigre guettant sa proie à travers un rideau de bambous.

 

Fichés dans nos sacs à main, les talons de nos escarpins rendent eux aussi l'âme.

Eva me lance un regard d'agonie et se détourne aussi sec pour reprendre une gifle d’air frais.

Un sursaut gastrique me propulse hors de l’habitacle, nous sommes aussi rondes que les roues d'une bicyclette dont les pédales affolées battent dans le vide avant la gamelle finale.

 

Gants blancs crispés sur le volant, le chauffeur dévisse son cou au-delà de l'appui-tête en dentelle. L'intégralité de ses traits respire la haine de l’étranger.

 

Se prendre une méga-cuite ici fait partie intégrante de la culture.  Mais manquer de self-control au point de déverser son trop-plein d'alcool par les portières, voilà qui est intolérable pour le propriétaire d'un véhicule assez rutilant pour cumuler les fonctions de taxi avec celles de bloc opératoire.

 

Exaspéré par nos râles, il finit par nous sommer de déguerpir de sa voiture.

Après une fébrile exploration à l'intérieur de sa besace, Eva en extirpe trois mille yens.

Puis⑱ nous débarquons à l'intersection des avenues Roppongi et Gaien-Higashi sans attendre la monnaie de notre pièce.(Tokyo Pops, chap. <Design et décadence > p. 6)

 

<試訳>デザインと退廃1/2

私たちの生気を失った顔が六本木通りを突っ走るタクシーの一方とその反対側から出ていた 。

顔が双方の窓から突き出ている④様子は日本では幸運と同義語になっている仏像の大きな耳たぶ、福耳のようだった

運転手の黒い瞳はバックミラーを通して私たちから視点を動かさずにいた。それは竹藪越しに獲物を狙う虎の眼と同じくらい怖いものだった。

ハンドバックに放り込まれた私たちのパンプスの踵もくたばっていた

エヴァは死にそうな目で私を一瞥すると、同じように素っ気なく顔を背け、また新鮮な空気に顔を打たせた。

胃から突き上げるものがあり、私は座席から身を乗り出した。私たちは倒れる前にペダルが空回りしている自転車のタイヤのように丸くなっていた

 

ハンドルを持つ白い手袋が苛立ちを示していた運転手はレースで飾られたヘッドレストに置いた首をひねっていた⑪。彼の態度すべてが外国人への嫌悪感をありありと表していた。

大酒を飲むことは、ここでは文化の不可欠な一部分となっている。しかし、目いっぱい飲んだアルコールを車のドア越しに戻してしまうほどセルフコントロールを欠いてしまうとなると話は別だ。病院の手術室の機能を兼ねることができるほどピカピカに磨き上げた車の持ち主としては許しがたいことである。

我々のぜいぜいと苦しそうな声に苛立たった彼は、ついに私たちに車から降りるよう命じた

エヴァはカバンの中を必死に探し回り、なんとか3千円を引っ張り出した。

 それから⑱私たちはお釣りも待たずに六本木通りと外苑東通りの交差点に降り立った。




部員A

部員B

部員D

部員B

部員A

部員C

編集長

部員A

部員C

部員E

部員B

ヴァンサン

★仕事中に

     呼ばれる。

 

部員D

部員A

編集長

①のデカダンスは広辞苑にも載っている言葉なので、カタカナ表記でいいのでは?それに、ここでの意味は、退廃というより自暴自棄な人のことでしょう。筆者はフランス語でデザイン、デカダンスと音も合わせたかったのでしょうか?

カタカナ表記で行きましょう!確かに彼女は呑んべえでダジャレが大好きだから!

編集長

②の部分は原文に「タクシー(の窓)から」とは書かれていませんが、和訳には、両方の窓から顔が出ている、とした方が自然なのでは?

でも、酔って気分の悪くなった二人が吐きそうになって、タクシーの窓から頭を突き出しているということでしょ?

部員C

③と④のEmergerとRessortirはそれぞれ、「突然出現する」「入ってすぐに出る」ということだから、二人の頭が窓から突き出されてはまた引っ込み、その繰り返しだったということじゃないか?

タクシーの窓から頭が飛び出ている状態を仏陀の福耳という感覚分りますか?

部員A

私は分る。そうだ、仏像より仏陀の方がよさそう。彼女が添えたイラストには仏画も含まれるから。

それはいいですね!ところで⑤の文の訳は語順を変えたほうが自然では?

部員E

⑥は直訳すぎる。

⑦のmenaçantesは「怖い」ではなく「(トラの目のように)威嚇していた」の方が原義に近い。

部員B

⑧の意味が分からない。なぜ靴がハンドバッグの中でへたばっているのか?この靴はパンプスなのか?ハイヒールなのか?ハイヒールの踵が取れたので、バッグに放り込んだのか、それをへたばったと表現したのか?それとも歩きにくくて、靴を脱いだだけなのか?これは著者に聞くしかない。

パンプスの意味もありますが、ハイヒールです。疲れたし、夜が長かったし、それにたくさん歩いたから、もうヒールが我慢できなくなって、脱いで、ハンドバッグに放り込んだのです。ハイヒールもわたしたちと同じように歩き疲れていたと言いたかったので、踵がとれて、履けなくなったわけではありません。

カロ

リーヌ

★スカイプ

   にて参加!

 

私はヒールのある靴を履かないからわからないわ・・・。

⑨のaussi secはaussi(おなじく)とsec(素っ気ない)の2語ではなく、熟語で「すぐに」の意味だよ。知っている簡単な単語ほど他の意味があるので要注意。

部員D

⑪は主語が長い。それとdévisseはどういう意味?

ボルトをねじって外すように首をぐるっと回したということ?

じゃあ、首を捻じ曲げて、にしようか。

部員B

⑫はここではというのは違和感がある、日本では、にしたほうが良いのでは?

じゃあ、この国では、というのはどう?

部員D

⑬の箇所は不可欠とは書かれていないでしょ。

その試訳をしたのは私だけど、反論ありです。Intégranteという言葉が入っていて、これは全体の完成に不可欠とか、全体の構成要素となっているという意味があります。日本文化において飲酒は神との関係において重要なものです。神社にお神酒を捧げ、穢れを祓う際にも酒と塩を用います。つまり飲酒は日本文化において不可欠な要素である、と訳せます。

部員A

いや、そこまでの意味はないんじゃない?欧米では酔って醜態を晒したりすれば、まともな社会人とはみなされないと言われていますよね。ところが日本では、路上を千鳥足で歩いたり、電車の中で寝込んでしまったりなんて、よく見かけることでしょ。だから泥酔するのは日本の文化に欠くことのできない一部と解するべきなのでは?⇒これはフランス人の意見を聞いてみるべきでしょう。

ヴァンサン。ちょっと、いいかしらー?

編集長

ハイハイー。そうですね、méga-cuiteは泥酔した、へべれけになるという意味です。僕も帰宅する時間の電車が酒臭いと感じることがよくあります。ここでのla cultureは文化というより、日本の日常生活というようなニュアンスですね。だから和訳するとすれば「この国ではへべれけになるまで飲むというのは日常生活ではしょっちゅうあることだ」という感じでしょうか。

 

⑭の我々はトル。代名詞は、意味が分かればなるべくトル方がよいです。

部員C

⑮は彼ではなく、運転手としましょう。

⑯の私たちも⑭と同じ理由でトル

部員E

⑰は降りるよう命令したというより、「お客さん、もう降りてください」と言ったくらいでは?

⑱の「それから」をトル

部員D

皆さんお茶はいかがですか、、?

問答スタート!!

などなど、、、問答を経て。

↓↓↓

<部員による検討結果>

デザインとデカダンス 1/2

六本木通りを突っ走るタクシーの両サイドの窓から、私たちふたりの生気を失った顔が飛び出したり、引っ込んだりする。顔が両窓から出ている様子はまるで仏陀の福耳のようだ。日本では大きな耳たぶは福耳と呼ばれ、幸運の印である。運転手の黒い瞳がバックミラーを通して私たちをじっと見ている。その眼はまるで竹藪越しに獲物を狙う虎のように私たちを威嚇している。

 

バッグに放り込まれたハイヒールも疲れ切っていた。エヴァは死にそうな顔で私を見るとすぐに、冷たい風に当たろうと窓の方に向き直った。胃から突き上げるものがあり、私は座席から身を乗り出した。ふたりとも酔っ払って頭がぐるぐると回り、ペダルが空回りして転倒寸前の自転車と同じようにコントロールがきかない。

 

この国ではへべれけになるまで酒を飲むことは、日常生活においてよく見かけることではあるものの、目いっぱい飲んだアルコールを車のドア越しに戻してしまうほどセルフコントロールができなくなると話は別だ。まるで病院のオペ室のようにピカピカに磨き上げた車の持ち主としては許しがたいことである。

ぜいぜいと苦しそうな声に苛立ち、運転手は、ついに私たちに車から降りて下さいと言った。エヴァはカバンの中を必死に探し回り、なんとか3千円を引っ張り出し、お釣りも待たずに六本木通りと外苑東通りの交差点に私たちは降りた。

 

 

Tokyo Pops, chap. <Design et décadence > p. 6

いかがでしたか?このように悪戦苦闘しながら、部員達は翻訳をすすめています。

次回は5/17*のアップを予定しております。おたのしみに!

 

追記:次回のアップ予定日は5/2ではなく、5/17となります。訂正申し上げます。

もう一度、原文・試訳を読む

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