【Tokyo Pops編】

7 avril 2018

Epilogue chez le psychanalyste

いよいよ、終章に入りました。ここで初めてTokyo Popsという本のタイトルが付けられた理由が分ります。それに、Une Française au pays des parkings à parapluieという副題の意味もやっと明かされます。特にparkings à parapluieはフランス人に聞いても「分らない」と言われることが多かっただけにすっきりします。

 

 

<原文>Epilogue chez le psychanalyste

 

Bien plus tard, un jour de pluie battante à Paris, je pose mon pébroque dégoulinant1 sur le pas de la porte de Mélodie, une psychanalyste chargée de débroussailler les sinueux chemins2 de mes pensées pour y construire un beau couloir aérien.  Les pieds dans une flaque3, je sonne en déplorant l'absence à Paris de parkings à parapluie4 à l'entrée des immeubles ou des magasins.  Comme il était pratique à Tôkyô d'utiliser l'une de ces consignes sécurisées pour y enfermer son précieux pépin translucide5, et l'y récupérer tout sec après sa course!

 

J'entre et m'installe.  Allongée, les yeux rivés sur mes chaussures détrempées, je ne peux m'empêcher de songer au choc qu'un Japonais ressentirait en me voyant ainsi :  non seulement  je suis chaussée à l'intérieur d'une maison, mais en plus mes semelles souillées raclent dans un total irrespect la couverture en kilim du divan6.

 

Cette situation est aussi choquante pour moi.  Mais je dois me plier aux us et coutumes du cabinet de psychanalyse parisien, et me faire violence pour combattre les principes contractés7 au Japon.

*

Prise par ces préoccupations d'hygiène8, je ne sais pas trop par où commencer, ayant déjà raconté de nombreux épisodes9 de ma vie à Mélodie.  Je choisis tout simplement de parler de ma naissance, tout du moins des quelques bribes que l'on m'en a rapporté10.

 

- Je suis née un 7 juillet11.  D'après le récit de mon père, ma mère ne souhaitait pas avoir de troisième enfant.  Sous prétexte que son mari faisait partie du corps médical12, elle lui confia la tâche de calculer ses courbes de température pour déterminer les périodes à risques.  A l'époque, on utilisait ce moyen de contraception, la méthode Ogino.

 

- Ogino?  C'est un nom japonais, n'est-ce pas...

 

- Oui.  Mes parents suivaient les instructions de ce médecin pour déterminer les périodes de fécondité de ma mère jusqu'au jour où mon père décida d'agrandir sa famille et de trafiquer les courbes de température.

 

      - Et vous êtes née ainsi?  Grâce à ce procédé japonais?  Je note tout ça.  Vous verrez Caroline, les pièces du puzzle trouveront naturellement leur place.  Le Dr. O-gi-no...13

 

Cette anecdote, maintes fois entendue sur les aléas d'une méthode de contrôle de la natalité qui avait droit à toute ma gratitude, prenait valeur de révélation pour Mélodie. J'avoue, j'étais aussi intriguée.

 

A mon tour, je laissais rouler ces syllabes dans ma bouche « O...gi...no ». Tels trois grains de popcorn que je « mâchais » avec lenteur et délectation.

 

Depuis ce jour, grâce au Dr Ogino, je peux dire que mille surprises ont jailli dans ma vie, un peu comme des explosions de grains de popcorn qui cuisent et qui font pop, pop, pop!

 

 

 

<試訳>エピローグはトルコ絨毯

 

しばらくたって、パリで強い雨の日、雨がしたたり落ちる1傘をメロディーのドアの前に置いた。メロディーは私の考えのうねうねした道2を解きほぐし、そこ素晴らしい空路をつくってくれる精神分析医だ。水たまり3に足を入れ、パリには建物や店の入り口に傘立て4(傘の一時預かり)がないことを残念に思いながらベルを押した。大切でちょっと面倒な5半透明傘を入れ、買い物のあとすっかり乾いた傘を取り出せる安全な一時預かりに使えるなんて東京はなんと便利なのだろう!

  (診察室の)中に入り、座った。横になって、雨でぐしょぐしょになった靴に目が釘づけになった。日本人が私を見て感じるショックを思った、私は家のなかでも靴を履いている。それだけではなく、汚れた靴底が長椅子(ソファーベット)の絨毯地のカバーを全く無礼にこすっている6

  こういう状態は私にとってもショックなことだ。しかし私は無理にでも、日本での原則と戦い7パリの精神分析診察室の習慣に服従しなければならなかった。

 

                   *

 (精神)衛生上の心配にとらわれて8、私のこれまで人生の話9をメロディーにはもう沢山話していたから、どこから始めていいのかわからなかった。ただ単に私の誕生についてはなすことにした。

  「私は7月7日11に生まれました。父の話によると母は三人目の子は望んでいませんでした。夫が医学団体12に属していたと言う理由で母は(妊娠する)おそれのある期間を知る体温の曲線を計算する役目をまかせました。当時は、避妊の方法としてオギノ式13を使っていました。」

    「オギノ?それは日本人の名前でしょう?」

     「ええ、私の両親は、父が家族を増やすと決めた日まで、母の妊娠期間を確定し、体温の曲線をためこの方法を使っていました。」

   「あなたはそうして産まれたのですね?日本人のやり方で?すべて控えておきます。カロリーヌ、パズルのすべての駒はあるところにあります。オギノ博士…」

      出産のコントロール法の不確実さについてはよく耳にするが、この話はメロディーの思いがけない発見で評価があがった。私も興味津々だったのだが。

  私は口の中で《オ…ギ…ノ》のシラブルを転がしていた。三粒のポップコーンをゆっくり味わいながら噛むように。

  その日から、荻野博士のお陰で、鍋のなかでポップコーンの粒が火にかけられ音を爆発するように千もの驚くべきことが私の人生ではじけたのだと言えるだろう。ポップ、ポップ、ポップ!

 

 

 

部員A

編集長

部員C

部員A

編集長

部員B

部員B

部員B

部員C

部員C

部員B

部員D

部員B

部員C

部員B

部員D

部員B

翻訳も表現の一形態ですから、原文を日本語でどう訳すか、辞書に載っているどの訳語を当てはめるか、あるいは少し拡大解釈するか等は翻訳者次第ですね。つまり、ひとつの事柄を表現するやり方はひとつではないということです。

Aさんの言いたいことを私なりに解釈すると、明らかな誤訳やミスを見つけ出し、修整することは必要ですが、自分とは表現方法が違うからといって、簡単に手直ししてよいものかと考えてしまうということでしょうか。

 

それでは、試訳で誤訳やミスと思えたところはありますか?

細かいこととですが、1 dégoulinantは雨がしたたり落ちるではなく、雫が垂れるでしょう。

2. les sinueux chemins(私の考えのうねうねした道)が気になります。「回りくどい考え方」とか「回りくどい思考過程」とかではないでしょうか。あとでスッキリした「空路」を開いて貰うのですから、単にうねっているより、もう少し込み入った様子でしょうか。

私の感覚では「道」と「空路」は対比になっているように思います。自分で考えていると出発点から目的地まで右往左往、あっちへ行ったりこっちへ戻ったりとまるで、うねうねした道を歩くような思考回路を精神分析医はすっきりと出発点から目的地まで一気に飛び越えてしまう空路を作ってくれる、ということかなと思います。そう聞くと、ビートルズの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード(The Long and Winding Road)を連想しますね。この曲についてポールは「あの頃の僕は疲れきっていた。どうしてもたどり着けないドア、達し難いものを歌った悲しい曲だよね。終点に行き着くことのない道について歌ったんだ」と語っています。著者もそういう心境だったのでしょう。

「水たまりに足を入れ」…「ベルを押した」のところですが、3 les pieds dans une flaque は状態ですし、「入れて」「押す」という流れが一寸引っかかります。「水たまりに足を入れた状態で」なのか「水たまりに足を入れてしまった靴のままで」なのか分りません。「ぬかるんだ足元のまま」とか「足元はぬかるんだまま」という訳でどうでしょう。

「ぬかるんだ」は「雨や雪解けなどで、地面の土がどろどろになった状態」なので、靴や足について言うのであれば「泥んこの足」とか「ぐちゃぐちゃな靴」が良いと思います。

著者に聞いてみましょう。

精神分析医のメロディー氏の建物の前に水たまりができていて、そこに足が入ったまま、呼び鈴を押したのです。

試訳では4. parkingを一時預かりとしていますが、parkingは本のサブタイトルにもなっているのだからパーキングにした方が良いと思います。

5. 「面倒な半透明傘」の「面倒な」はどこから来るのでしょうか。pépinは傘ですが、これに別の意味が加わるのでしょうか。

précieuxの訳に苦労した結果ではないですか?

日本から持ち帰ったビニール傘なのです。フランスでは売っていないので貴重品ということ。

セラピストのカウチとキリムとどういう関係があるのでしょう。

診察室のソファはこんな感じです。

(カロリーヌの一筆描き添付)

つまり、精神分析医(セラピスト)のカウチ(寝椅子、ソファ)とそのカバーとしておかれるキリム(あるいはペルシャ絨毯)は添付画像のような状態だったということですね。

つまり、精神分析医(セラピスト)のカウチ(寝椅子、ソファ)とそのカバーとしておかれるキリム(あるいはペルシャ絨毯)は次のような状態だったということですね。

https://www.travel.co.jp/guide/article/6692/

6. un total irrespectを「全く無礼に」と訳しているところですが、「無礼にこすっている」というのは響きに馴染みがありません。「無頓着にも」「失礼極まりなくも」「こともあろうか」などが当てはまるような気がします。

 irrespectを辞書で引いて、用例としてmontrer de l’irrespect envers qn(…に対して不遜(ふそん)な態度をとる)というのがありました。不遜あるいは傲慢などはどうでしょう。

「日本での原則」ですが、7. contractésを生かして、「身につけた」「馴染んだ」とかではどうでしょうか。

同じ部分について多分文章の流れ上、入れ替えられたのでしょうが、原文通りとし、「日本で馴染んだ原則と戦うため自分の感情を抑えなければならなかった」を後ろにしてはどうでしょうか。

その方が良いですね。でもprincipesと複数形で使われる場合には道徳的規範、主義、信条、節操、徳義と言う意味がありますし、se faire violenceは自制すると言う意味なので「日本で馴染んだ道徳的規範との葛藤を抑え込むために自制しなければならなかった」とするのが適切ではないかと思います。

8. Prise par ces préoccupations d'hygièneを試訳では「(精神)衛生上の心配にとらわれて」としていますが、このhygièneは精神衛生というより「濡れた靴のまま、ソファに上がるなんて、汚いなあ」と思っている状態、つまり不潔だと思っているのでしょう。それに囚われて、何を話していいか分らなくなった、ということとではないでしょうか。

次のパラでは、「話を…話していた」となっていますが、9. épisodesは、出来事という意味もあり、こちらがスッキリします。この前病院で医師から「またこういうエピソードがあったら来てください」と言われましたが、医師はこういう使い方をするのか、と思いました。

医学用語では「予期せぬ偶発症状」という意味で使うらしいです。この場合、著者はその意味というより「自分の人生に起きたことは、すでに散々話してきていたので」というニュアンスでしょうか。

10. tout du moins des quelques bribes que l’on m’en a rapportéが訳されていないように思いますが。「少なくとも私が聞いた断片的なことだが…」でしょうか。

11. 「7月7日に生まれました」ですが、un 7 juillet の不定冠詞付きは、「ある年の7月7日」という意味で、それを出すとすれば、「ある7月7日に」か、「7月は7日の生まれです」と年を最初から無視する言い方でしょうか(一川周史著「新・冠詞抜きでフランス語はわからない‐例文比較による徹底解説‐ 駿河台出版社の41p)

 

生年月日を問われたら、Je suis née le 7 juillet 19XX.になるのでしょうね。でも毎年繰り返される誕生日だからun 7 juilletとなるのではないでしょうか。日常会話で誕生日を聞かれて、少なくとも私なら「ある7月7日に」とか、「7月は7日の生まれです」とは言わず、「誕生日ですか?7月7日です」とか「生まれたのは7月7日ですけど、それが何か?」と答えると思います。ここで7月7日生まれと語ったのは、その後にオギノ式の話がでてくるので、ご両親は7月に子供が生まれるような家族計画をしたのではないかと思います。

12.「医学団体」について、間違いとは言いませんが、団体というと何らかの組織に受け取られます。corpsは職能集団、職種を示し、試験区分や経歴で異なります。日本で言えば、例えば公務員の技術職、医療職というような仕分けです。従って、団体というより、「医療職」でしょうか。

 

どんなお仕事や役職だったのかは知る由もありませんので、「父は医学関係の仕事をしていたので」では?

13. オギノ博士にLe が付いています。普通は肩書きには定冠詞は付かないのですが、Monsieur le Président並みにここを訳すのはちょっと分かりません。

 

原著131頁の注釈85ではEn 1924, Le Dr Kyûsaku Ogino crée une méthode pour connaître la date d’ovulation par rapport à la courbe de température.と定冠詞のついた形にしています。ネイティブに聞いた方が早いかもしれませんが、私が思うには荻野という名前で博士号を持っている人は他にもいるかもしれませんが、排卵周期を研究し、その研究成果がオギノ式(la méthode Ogino)と呼ばれた荻野久作博士は特定の人ということで定冠詞がついているのではないかと思います。

 

それでは「例の」とか「あの」としましょうか。今回、著者に直接聞くことができてやっとわかったということがたくさんありました。それにしても、ポップコーンが弾ける音と、自分の人生に色々なことが目まぐるしく起きたことを結びつける感覚は読んだだけでそこまで読み取るのはなかなか難しかったです。

部員B

部員B

部員D

部員B

カロリーヌ

部員B

カロリーヌ

カロリーヌ

部員A

部員C

部員D

部員B

部員A

部員C

部員C

編集長

問答スタート!!

などなど、、、問答を経て。

↓↓↓

<部員による検討結果>

大団円はセラピストの診察室で

それからしばらくして、パリに土砂降りの雨が降った日、私は雫が垂れる傘をメロディーのドアの戸口に置いた。メロディーは私のこんがらかった思いを解きほぐし、しっかりと道筋を描いてくれる精神分析医だ。水たまりに足を入れたままベルを押す。パリには、建物や店の入り口に傘のパーキングがないことが残念でならない。東京はなんと便利なのだろうか。大切な半透明傘を安心して入れておける傘置き場があり、買い物が済んだら、すっかり乾いている傘を取り出せるのだから。

 

(診察室の)中に入り、ソファに座り、横になった瞬間、雨でぐしょぐしょになった自分の靴に目が釘づけになった。日本人がこのような私を見たらショックだったに違いない。私は家のなかでも靴を履いている。それだけではなく、全く不遜なことに、汚れた靴底が長椅子のキリム地のカバーをこすっている。

 

こういう状態は私にとってもショックなことだが、パリの精神分析診察室の習慣に従い、日本で馴染んだマナーを抑えて我慢することにした。

*

衛生上の心配にとらわれて、どこから話し始めていいのかわからなくなった。これまで自分の人生に起きたことは、すでにいろいろと喋ってきたので、私の生まれについて簡単に話すことにした。

 

「私は7月7日に生まれました。父の話によると母は三人目の子は望んでいませんでした。夫が医学関係の仕事をしていたと言う理由で母は(妊娠する)おそれのある期間を知る体温の曲線を計算する役目を夫に任せました。当時は、避妊の方法としてオギノ式を使っていました。」

 

「オギノ?それは日本人の名前でしょう?」

 

「ええ、私の両親は、父が家族を増やすと決めた日まで、母の妊娠期間を確定するために、体温の曲線をつけるというこの方法に従っていました。」

 

「あなたはそうして産まれたのですね?その日本人のやり方で?すべて控えておきます。カロリーヌさん、お判りでしょう。あなたの人生のジグソーパズルの駒は自然にあるべきところにはまっていくのですよ。ドクターオ、ギ、ノ…」

 

出産コントロール如何によるとよく耳にするが、わたしは心から感謝しているし、メロディーにとってこの秘話は初耳だった。正直、私もずっと気になっていたのだ。

 

次にわたしも口の中で《オ、ギ、ノ》のシラブルを転がしていた。この三粒のポップコーンをゆっくり味わいながらかみ締めた。

 

その日から、荻野博士のお陰で、鍋のなかでポップコーンの粒が破裂するように数え切れない

ほどの驚きが私の人生ではじけている。ポップ、ポップ、ポップ!

 

 

 

昨年の春から始めた翻訳問答、今回のエピローグでTOKYO POPSは終了となります。最終日には著者のカロリーヌとスカイプを繋ぎ、窓から見える駒場野公園の桜吹雪を一緒に眺めました。かつて、駒場の学生だった頃に戻って。

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